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ソーシャルゲームに足りないもの〜コンプガチャ騒動に感じること〜

昨日のグリーに続くDeNAの3月期決算は、売上高1457億円、営業利益634億円、当期純利益は前年同期比9%増344億円で、最高益であるものの若干成長が堅調となったのはGREEと同様でした。コンプガチャについては、消費者庁指導前に幕引きを図り、全面廃止としたのはさすが大人の判断というべきでしょうか。プロ野球チームを買うという話あたりから、DeNAの経営センスは、いかにも頭のいい人達がいるんだろうなと思っていましたが、なんだか「日本の大企業」になろうとしているのかなとも感じます。(いい意味でも、悪い意味でも。)

でも、(もはや、この土俵の中でなんとかするしかない状態ではあるのですが、)批判に対する回答を繰り返し続けた結果、翼を取られ続けてしまうのではないかとも感じます。この話を動かす原動力には、既得権益やら色々な日本の膿のような部分が感じられて、まだまだ波乱はある気がします。(なければそれはそれでいいのですが。)プロ野球を持ちつづける事業規模は維持されても、これまでのような急拡大は出来なくなるかもしれません。もしかしたら、そういうことが分かっているから、グリーは「戦おう」という姿勢を見せているのかもしれません。でも、結果として今は効果的に「炎上」を消す方法がみつからず、混乱しか見せられないようにもなっています。

こういう危機を乗り切る方法の一つとして、「世論を味方につける」という方法があります。会社が主導する訳にはいかないとは思いますが、著名人などから「コンプガチャを守ろう!」「グリーをいじめるな!」などの声を上げてもらう。こういう動きが出てくると、大きなうねりのような流れを止めることがあります。しかし、残念ながらその動きも今の所ないのが現状です。むしろ、逆に従来のゲームファンからは、ここぞとばかりに非難する声が相次いでいます。

なぜでしょうか?私は多くの方からも指摘があるように、ソーシャルゲームそのものが、本来目指すべき、ソーシャルとゲームを融合させてもっと楽しい世界を作っていこうという思想から、人間の快楽を利用した拝金主義的な思想にいつのまにか侵されてしまったことが理由である気がします。ユーザーを増やす原動力であった操作の単純さのため、ソーシャルゲームでは技術や頭ではなく、運と時間という要素が差を産みます。それが、マネタイズが無限に儲けを生み出せる可能性を秘めていたのです。

私が「ゲームというものが大変なことになるぞ?」と思ったのは、2010年末にNHKスペシャルで放送された「世界ゲーム革命」という番組です。天才的なゲームデザイナーが生み出す「名作」に依存する日本製のゲームに対して、徹底したマーケティングにより、より効率的にヒットする世界のゲーム産業がいかに脅威か?という内容が印象的で「面白さ」の追求より「いかに受けるか?」ということを目指す世界になっていくのだと感じました。と、同時に暴力的な表現により、人間の本能や快楽に直接的に訴えるような海外産のゲームが世界的なヒットを産むいった状況を見つつ、ゲームがどうなっていくのか?というのは、ゲーマーではない私でも興味深く感じていました。

一方で、日本のゲーム業界はその流れを変える程の事ができず喘いでいましたが、その中でソーシャルゲームの台頭がありました。当初は「暇つぶし」としか映らなかったのですが、この分野にマーケティング的な要素が導入され、ソーシャルである事による競走心理や、(今、話題の)射幸心を煽るような仕掛けが取り入れられ、終わる事のないエンディングや、利用状況に合わせて変えられるパラメータなど、オンラインだからこそ実現できることを活かした要素がどんどん増えてきました。昨年夏ぐらいからは、「ゲーミフィケーション」という言葉も流行り、異業種への適用など行なわれるなど、一大ムーブメントとなっていました。

「ソーシャルゲームの平均ARPU(average revenue per user)が2000円程度」という話を聞いたのはその頃です。周りには、あくまで無料で楽しむユーザーが多かったので驚きましたが、実際、無料ユーザーの比率が高いにも関わらず、それだけの平均ARPUがあるのは一部の超高額を支払っているからに違いありません。正直、危ないのでは?と感じていましたが、当初は「あんなのはゲームではない」「グリーもDeNAもぼったくり」というスタンスだったゲームメーカーも吸い込まれるように、ソーシャルゲームのタイトルを出すようになり、知らない間に、稼いだもん勝ち状態になっていました。

こうなると止まりません。積極的な海外進出が、衰退する製造業と対比して、日本の希望のように扱われ、マネタイズで苦労するインターネット業界の光となりました。ゲームの面白さなど、本質とは違うところでムーブメントが出来るいわゆるバブル状態に近いものを感じました。本当に日本の雄となる産業となるには、あまりにも本質的ではないように感じてしまったのも事実です。

以前、御一緒したある著名なプロダクトデザイナーの方から「マーケティングはものづくりをダメにする」と言われた事があります。完全に同意できるものではありませんでしたが、その言葉の意図は「使ってくれる人を思い、その人にとって本当に良いものを作らなければいけない。そこにはデータだけでは判断してはいけない愛情がある。」というものです。その言葉は今でも私のバイブルですが、そういう事がものづくりにおいて最も大事で、長く愛され続けるために必要と感じている私だからこそ、今のソーシャルゲームにはユーザーに対する愛情があるのだろうか?」と感じていたのかもしれません。

グリーの田中社長は、最近のインタビューで「必ずしも自分が使いたいものだけではない」と発言しています。もちろん、色々な立場の経営者がいるので、これだけで彼を否定するべきではありませんが、スティーブ・ジョブスが「僕は特に使いたくないけれど、この新しいiphoneはいい」とは言わなかったと思います。なぜ、Appleが熱狂的なファンを作り出すのか?それは、経営者であったスティーブ・ジョブスの自社製品、そしてそれを使ってくれるユーザーへの愛の大きさが影響しているのではないでしょうか?かつてのソニー、任天堂にも同じようなユーザーに対する愛情が感じられる商品が沢山あったように感じます。

こんな事を書くと、「精神論か。」「甘っちょろいな。」と思われるかもしれません。でも、実は日本人が最も忘れてしまっている事であり、そして必要な事ではないでしょうか。そして、世界の人たちにもっと使ってもらうために、この気持ちなく実現できるとは私には思えません。

「世界ゲーム革命」の中では、日本のゲームに対する世界の人たちの尊敬が描かれていました。彼らが尊敬されていたのも、またユーザーに対する愛情があったからではないかと思います。そして、幸いまだまだ優秀なゲームの作り手は健在です。そして、日本にはそういうゲームを楽しんできたゲームを愛するゲーム業界の人たちも沢山います。その力を結集することで、ソーシャルゲームというジャンルであるのかは、分かりませんが、インターネットとソーシャルというチカラを使って、暇つぶしでもない本当に面白いゲームを作るという事はまだまだ可能であるように感じます。

グリーの決算資料の中にある「インターネットで世界をもっと良くする」という言葉。私もその力を信じています。そして田中社長とは同年代でもあります。だからこそ、応援もしています。この危機を「乗り切ろう」という気持ちだけでは、乗りきれないのではないのはもはや明白です。もう一度原点に帰り、利用するユーザーへの愛を持ってソーシャルゲーム第二章を作りだして欲しいと心から願っています。