【映画】10万年後の安全

来週行われるフィンランド大使館主催のメタルフェスティバル「Finland fest Metal Attack」から案内(無料で見れる)があったので、王子の北とぴあで開催されているフィンランド祭のイベント「北とぴあフィンランド祭」の「10万年後の安全」という映画上映イベントにいってきました。

内容は、フィンランドのオルキルオトに造られる事になった高レベルの放射性廃棄物の最終処理場「オンカロ(フィンランド語で隠し場所)」の建設を巡るドキュメンタリー。フィンランドでは、放射性廃棄物から人類に有害な放射性物質が完全に無くなるのに要する時間が10万年と定義されていますが、現代の繁栄の「対価としての負の遺産」を、その繁栄を享受した現代のフィンランド人達が、「10万年間施設の安全性を守る方法」を考えています。

10万年前の例として、ネアンデール人が出てきますが、10万年後の人類(いればの話ですが)にとっての現代人は教科書でも良くわからないような存在でしかありません。10万年後というのは、とてつも無く先の未来世代です。戦争が起こる可能性、地震などの災害が起こる可能性、言語が失われて別の言語となってしまう可能性、そういう不確実な可能性の中で、その世代に対して、「どうやって無理な負担を強いる事なく安全保障を実現するのか?そして、それをどうやって伝えるのか?」という事を延々と議論しています。

3.11前であれば、もしかしたらこの映画も「答えの出ないことを延々するなんて無意味」と思ったかもしれませんが、この映画は、確実な「当事者」となってしまった私達にとっては強烈なメッセージをもたらします。

10万年後どころか、100年後の先も見通すことも、50年後、いや20年後すら見通す事すら出来なくなりつつあり、「今年の夏が節電されたらどうなるのか?」という事だけに振り回されている日本ですが、回顧主義では無く、繁栄した社会を既に享受している私達が未来に何を残す事ができるのか?という事を考える必要はないのか?という事を改めて考えさせられます。

監督のマイケル・マドゼンは客観的で政治的な意図を廃したとコメントしておりますが、私は「そういう不確実なことに対する責任を負わなければ行けないほど必要なものなのか?」というメッセージがあるように感じます。(スイスでは「反原発」プロパガンダ映画認定されたとか。)

【参考】「オンカロ」の意味するもの~10万年後をどう考えますか?(マイケル・マドセン監督インタビュー)

http://www.nikkeibp.co.jp/article/reb/20120116/296341/ 

 

また、フィンランドという国が、「何故社会として成熟していると言われるのか?」という観点でも、映画の中から感じる事が出来ます。科学的であり、哲学的であるフィンランド人のマインドを垣間見ると言う点でも、是非オススメです。

しかし、メタルという音楽からこんな映画に出会わせてくれるフィンランドというの幅の広さは何かスゴイ。(実際に、会場でもちょっとこのようなNPO系のイベントにはいないような長髪の方もいました)