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縄文人に学ぶ

佐藤卓さんの事務所から御招待を頂いたので、青山ブックセンターで開催された考古学者 小林達雄さんとのトークショー「縄文人に学ぶ」に行ってきました。

 

先日、国立科学博物館で開催されている「縄文人展」に行ってきたばかりなので、素晴らしい展示から受けた新鮮な感銘そのままに、またもや縄文人にはまりこんでしまいました。
 
定住していながらも「農耕」という文化を持たなかったばかりに、文化的には「劣等生」とされてきたという縄文文化に対して、小林さんは「『劣る』という評価自体が間違いで『個性』に過ぎない」といいます。
 
むしろ、一つの作物に依存していたために、飢饉に悩まされた農耕文化に比べて、状況に合わせて採集、狩猟、漁労により食料を得てきた縄文人の方がずっと豊かで、飢饉というものが無かったそうです。
 
そういうフレキシブルな価値観においては、自然との共存はあっても「闘い」というものは無かったそうですが、だからこそ自然の素材を活かした日本の豊かな食文化というものを産み出すきっかけになったのではないかとも感じ、改めて先人のマインドに尊敬を抱きました。
 
また、「縄文」というと最も象徴的な「縄文式土器(火焔式土器)」。その多様な突起のため、世界でも稀な使い勝手の悪い土器とも言われます。粘土という自由に形状を創作できる素材を使って作る道具でなぜ機能性を追求しなかったのか?非常に興味深い所ですが、小林さんは「縄文人は目的というものに意味を感じていなかったようだ」と言っていました。
 
私たちはあらゆる「目的」に縛られています。そして、知らない間に、「目的」がないと動けなくなってもいます。
「仕事する目的」、「生きる目的」、あらゆる事への「目的」が見つからず悩まされ、うつになる人すらいます。
 
でも、「目的なんていらない」としたら、本当に自分の内なる衝動から行動できるとしたら、それはとても力強いものであるというのが、縄文土器の力強い表現に現れているように感じました。
 
自然というものをコントロールしようとしなかった縄文人だから、自分の可能性を引き出す事ができたのかもしれません。
 
一方で、自然だけでなく、時間、空間や、自分以外の人々など全てをコントロールしようとする現代人。
 
この、対比を、見てみると逆に自分の内なる可能性の発見は、自分以外をコントロールしようとしないという素直な物の見方にヒントがあるのかもしれません。
縄文人。奥が深いです。。